先を望まぬものたち














先輩に好きな人が出来るというのなら、昔からそれは「兄」だと思っていた。
先輩のそばにいたいという願いが叶わなくなるのは、きっと先輩と兄とが結ばれたそのときなのだと思っていた。
幼いころから、ずっとそう思っていた。それでも想うことは止められなかった。もしそうなったとしても、少しくらいは先輩のそばにいられるような気がしていたから、それでもいいんじゃないかと ずっとそう思っていた。


すべてが突然なんだ。先輩はそう思っていなくとも、これを 運命だと思っていたとしても
突然だった 突然すぎてどうしていいのかわからなかった。




先輩は言った。「この世界に、好きな人ができた」 と










怨霊退治、戦、修行・・・。すべてのものを忘れ星を眺める時間が、譲はとても好きだった。
自分達の住んでいた世界とは違い、辺りは静まり返り 星が隅から隅まで見えるようで、吸い込まれそうで。何もかもが夢なのではないかと思えるこの瞬間がとても好きだった。
電灯も、ビルから漏れる明かりもなく、月明かりと星だけを頼りに舗装されていない道を行く。歩くたびにジャリジャリと響く音も、風情があって心地よい。
京屋敷を離れ、暫くすると草原が広がっている。そこは譲の特等席だ。誰にも、何にも邪魔されず、考え事をするときには丁度いい場所だ。
その草原に寝転び、星空を仰ぐと自分はとてもちっぽけな存在のようで悩みさえもちっぽけなものに思えてくる。
夜風が吹くと、草がそよそよと譲の頬をくすぐった。
まるで、今の自分を慰めてくれるように。




今日、ここに来たのは他でもない、ずっと想いを寄せていた”先輩”から打ち明けられた言葉のせいだった。
先週あたりだったか、湯冷めをすると止めるのも聞かずに散歩をしようと強引に誘われたのが始まりだった。まだ濡れた長い髪をなびかせ、先を行く先輩に見惚れていた。
月明かりだけで、表情まで見れないそのときに彼女は言ったのだ。

「譲くん。私、この世界に好きな人ができた」

返事が遅れた。あまりにも突然のことで、あまりにも前触れがなさすぎて、不自然なほど反応が遅れた。それをどう取ったのか、彼女は「気づいてたのかな」と小さく笑った。

「いえ、全く気がつきませんでした」

ワンテンポ遅れて返事を返すと、月明かりでよく見えなかったが彼女は笑ったような気がした。それから、一方的に話を聞いた。
これからどうしたらいいのか。戦いの最中に不謹慎か。彼は、好きな人がいるのだろうか。
話の合間に相槌を打つのに、精一杯だった。彼女は、返事を求めるわけでもなく、自分の想いをただただ告げていた。溢れてくる想いを止められないのだと言わんばかりに。

最後に、帰ろうかと言われ譲はつい、口にした。

「何故、この世界の人なんですか」

言ったあとで後悔をしたが、悲しげに微笑んだ彼女をみて、その後悔は取り消された。
どんな表情でも、先輩は綺麗だと ただ、そう思った。








あの時のことを思い出すために、譲はここに来た。
あれから一週間、彼女とは口を聞いていなかった。怨霊退治で忙しかったのや、お互いの稽古で都合がつかなかったのもあるが、なんとなく譲は彼女を避けていた。

「今更、どんな顔をすればいいんだ」

小さく漏らした声に、草原がガサと音を立て揺れた気がした。

「誰かいるのか!?」

張り上げた声に、一呼吸おいてから、姿を現したのは見覚えのある女性
”先輩”の対となる龍神の神子。彼女とは姿も性格も正反対のような尼である女性が草原の中から現れた。

「・・・朔」
「ごめんなさい、邪魔する気はなかったのだけれど・・」
「・・・お互い様、だと思いますよ」

眼鏡をクイと押し上げ、譲は空を仰いだ。


先に沈黙を破ったのは、朔だった。草の葉が揺れる音しか聞こえないその場所では、小さな声もはっきりと聞こえる。

「譲殿も、聞いたのね」

譲殿も・・・。そのフレーズだけでなんの話かすぐにわかった。いや、わからない方がおかしいのかもしれないけれど。「まあ」と小さく漏らすと困ったような朔の顔がよく見えた。
朔はきっと気づいていたのだろう。”先輩”の想いも、譲の想いにも。だからこそ誰にも言えず悩んだのかもしれない。だからこそ、彼女もここに来ていたのかもしれない。
そう思うと、何故だか申し訳ない気持ちと苛々が一緒に押し寄せてきた。
そのせいだろうか、自分でも今まで気づかなかった本心が口から出た。


「なんで、兄さんじゃなかったんだ・・・」


自分でもわかっていた。兄はとても魅力のある人間だと。兄に惹かれない人間がいるというのなら、一度お目にかかりたいと思うくらい、譲にとって兄は憧れのような存在だった。
先輩の好きになった人にも、きっと自分にはわからない魅力があるのだろう、けれどわからなかった。まだ会って1年も経たぬ相手に、いつ離れることになるかわからない相手に 何故、彼女が心奪われたのか。
どうして自分を好きになってくれなかったのか、だなんてそんな愚かなことは言わない。
何故、兄じゃなかったのか そんなわけのわからないことも言わない。

けれど

何故、この世界の住人でなければならなかったのか
その気持ちはこの死ぬか生きるかの世界で生まれた、錯覚なのではないかと そう、思ってしまう。そう問いただしたくなってしまう。
兄ならば、一緒に帰ることもできる。兄ならば、離れることはない。それにあの人は世渡りがうまいから、きっと死ぬこともない。少なくともこの世界の戦に巻き込まれ死ぬようなことはないはずだ。

それなのに、何故


そう思い口に出してしまったら、自分が情けなく思えて仕方がなかった。
隣に座る、この年齢よりも大人びた女性もきっとそう思ってるに違いないと横目で見ると、彼女はとても悲しい目をして譲を見ていた。


「貴方は、三人で過ごす時が一番大切だったのね」
「そう・・・かもしれません」
「そして、もう二度と戻れない時を悔やんでいるのね」

慰めでもない、ましてや説教するつもりでもない。その声はとても寂しいものだった。
まるで、”自分もそうなのだ”と言っているように聞こえた。


「受け入れることは難しいわ。時が解決してくれる気持ちなんか、ありはしないわ」


「でも、自分の力では変えられないものがあるのもまた事実」


朔が何を思ってソレを口にしているのか、譲には皆目見当がつかない。ただ、朔の想いを聞くことしかできなかった。
そう、彼女への想いを時が解決してくれるだなんて思わない。もし、解決してくれると言われてもそんなもの願い下げだ。そんなものを求めてはいない、ただ ただ

好きな人がいたとしても、俺が先輩を守りたい
気持ちが通じないというのなら、真っ先に先輩を守って死ぬのは自分であればいい
それらを、他の奴がやるからいらないと言われたとしても



「それでも、傍にいたいと願う俺は愚かなのか」


気がつくと、涙が頬を伝っていた。覚悟はしていたはずなのに、先輩が自分じゃない誰かを好きになると覚悟をしていたはずなのに、それでも先輩がそれで幸せになるのだというのなら、自らが不幸になったって構わないと思っていたのに。はずなのに
受け入れることなんかできやしないと、気がついてしまった。いや、元々受け入れるつもりなどなかったくせに、自分の気持ちを綺麗なものにしたくて、そんな戯言を言っていただけなんだ。そう気づいてしまったら、涙は止まらなかった。


「そうね、愚かね」

朔の言葉は胸に突き刺さった。

「そして、本当に大切なのね」

本当に、突き刺さった。






明朝、今日は久しぶりに声をかけてみようと部屋に向かった。寝起きの悪い彼女を起こすのが自分の仕事だったはずなのに、最近は何かと理由をつけて避けていたから、前に進むためにとは言わないけれど、自分の気持ちを再確認しようと、足を運ばせた。
すると、廊下の角から声が、聞こえる。とても幸せそうに笑う愛しい声と、それを一心に受ける明るい男の声が。
一瞬躊躇い、踵を返そうと思ったが、譲は眼鏡を外すと声のするほうへと歩き出した


「あ、譲くんおはよう」
「おはようございます。先輩は今日は珍しく早起きなんですね」
「譲くんも珍しいね、眼鏡してないなんて」

「あ、あぁ。これですか」

久しぶりに聞いた自分を呼ぶ声に動揺し、眼鏡のズレを直すくせで、目元に触れる。手のひらさえもぼやけて見える世界で、今先輩がどんな顔をしているのか、譲にはわからない。
その隣で、譲たちのやり取りを見ている男の表情も、もちろんわからない。

けれど、今はこれでいい


「見たくないな、と思って」



きっと、先輩は不思議そうな顔をしているのだろうと思うと口元が緩む。
何を?と聞かれる前に、譲は二人を背にし歩き出した。懐から眼鏡を取りかけると視界がとてもクリアに見えた。その先に朔が佇んでいるのが見える。


「かっこ悪いかもしれませんが、やはり今の俺には受け入れることも忘れることもできないんです」


返事はなかった。けれどそれでよかった。
微笑んだ譲に、朔も微笑み返す姿を、今度は はっきりと捉えることができた。














変わることは望まない。ただ想いは先に進めばいい