笑っていたって、誰と居たって、何をしていたって考える事は彼の事ばかり あぁ、なんて不毛なこの想い。逢う事さえも許されない、巡り合えない この想いを止める術を、誰が知っていると いうのでしょうか? 繋がら ぬ 軌道 目が合った。それはきっと錯覚。 けれど、僕の中には確かなものが宿ってしまった。 望んではいなかった出会い。 それは、僕だけに何かを残し、彼の中には何も残らなかったろうという 不毛な想いのはじまり。 男の子、としては長い髪を靡かせ早口に語る年下の友人。 いや、友人とは呼べないかもしれないこの子から 僕は情報収集をしている。 不動峰の、伊武くん――… 好敵中学の2年生。 聞き出している事は、彼の所属するテニス部の情報ではなく別の事。 全国大会に進めないと判っている今、そんな事を聞いても意味がないでしょう、と説得しここまで呼び出したのだが。 彼は、自分が不利になる事以外は本当によくしゃべる。 聞けないと思っていた情報まで あっさりと教えてくれた。 「橘さんの獅子学時代に関わったとかなんとか…。名前?あんまり口にしたくないんですけどね…あんな奴の事。でも聞かれたんだから答えるけどさ……」 「橘…千歳?」 「そう、何か今はどこで何してるかわからない奴だけど。橘さんもアイツの事話したがらないし。よくわからないけど、立海の怖い人も一目置いてるとかで…気に入らないよなぁ…」 「そうですか」 僕が情報を得ようとしているのは伊武くんが今、名を口にした人。 『橘千歳』くん。 どうやら伊武くんはその橘千歳くんをすごく嫌っているようだったけれど、その部分はあえて聞かぬようにして 心の中に重要な部分だけしっかりと刻み付けた。 「ところで、観月サンは何でアイツの事知ってるんデスカ?」 「え…。いや、前に不動峰と山吹の試合を見に行った時に見かけただけですが」 ひやり、と冷たい汗が背中を流れる。特に動揺するような事は聞かれていないはずなのだが、ついでに大きく息まで飲んでしまう。 しかし、伊武くんはさして気にしてない様子で話を進めてくれた。 「…わかった。観月サンもアイツの顔見て一瞬でムカつく奴だって判ったんだ。…うん、じゃぁいいですよ、アイツの情報入ったらすぐに教えますよ」 「え…?は、はい、ありがとございます」 「でも、ちゃんとアイツ潰してくださいね」 綺麗な顔に似合わず、物騒な言葉が幾つか聞こえた気がするが…。そんな事はどうでもいいというように、僕の口からは「努力します」と、心にもない言葉が出た。 礼儀正しく頭を下げ、立ち去る伊武くんに笑顔で手を振りながらも 頭の中はたった一つの事でいっぱいだった。 橘 千歳くん。九州の獅子学中出身。あの立海の真田君をも認めさせるテニスプレイヤー。 つい、さっきまで名も知らなかった彼の事を知れた、その事実だけに僕の心は喜び 踊った。 伊武くんは嫌っていたようだから、彼へのイメージは最低なものになるのが必然なのかもしれないけれど そんな事はどうだっていい。 「橘……千歳、くん」 その名を呼ぶだけで満たされるような気がして、独り呟いた。 話した事もない、顔しか知らない、人づてに聞いただけの彼を想像し 思い馳せる。 しかし、そんな夢のような気分はずっと続くものではない。 僕は自分の家とも言える寮に帰り、現実へと引き戻された。 「おかえりなさい、観月さん」 そう言い微笑む裕太を見て、僕の気持ちは蓋を閉めて閉じこもった。 裕太は僕の一つ下の、恋人。 自信を持って最愛の人だと言える 大切な人だ。 「た、ただいま。裕太」 「今日はどこに行ってたですか?」 屈託のない笑顔に、僕の笑顔が引きつる。 きっと何も気が付いてはいないだろうけど、本当は何もかも知っているのではないかと、そんな気持ちに襲われる。 答えなくては変に思われるだろうと思ったけれど、『どうして伊武に会いに?』などと聞かれたら僕は何も答えられないだろう。 この場はどう答えたらいいのだろうと、俯いた瞬間 裕太の強い腕が僕の腰を抱いた。 「ゆ、裕太?」 「気分が悪いんですか?さっきからずっと顔色が悪い…」 僕の事を心の底から心配しているという風に 僕が倒れるのではないかと思って支えてくれたのだろう。 あぁ、僕はやっぱり裕太が好きだ。 そう思ったと同時に胸がちくりと痛んだ。 「いえ、大丈夫ですよ。ただ今は…少し休みたい」 只、そういうだけで精一杯だった。 大好きな裕太の腕にもたれ、心が落ち着いていくのを感じる反面 頭の中で大きな音が鳴り響くような感覚に襲われ 僕はその場で気を失った。 正気を保てる気がしなくて 僕は自らの意識を手放した。 そうすれば、この感じる意味のない罪悪感を振り払えるような気がして。 僕はやましい事などしていない。そう、彼とただ話がしたくて彼の事を知りたいと思っているだけなのに 罪悪感など感じる必要がどこにあるのか? 失った意識の中で、僕は懸命に自分を正当化した。 僕は裕太が好き。いつだって、一緒にいたいのは裕太だ。 彼に対する想いは、決して恋などではない。 後ろめたい気持ちは、裕太がいらぬ事で心配するのが嫌だから。 きっと そうだ 彼に対する想いは恋なんかじゃない。 こんなにも、焦がれているけれど――― 「観月さん。こっちです。…てゆーか、人を呼び出しておいてよく遅刻できるよなぁ、信じられないよ…」 「すみません、すみません!裕太と少し揉めてしまって…」 息を切らし、駆け寄るとものすごく不機嫌そうに伊武くんは笑っていた。 社交辞令で微笑んでいるけれど、本心もバッチリ見えています。というような感じで。 「…裕太?あの、2年の不二くん?」 「あ、えぇ。」 「ふうん。付き合ってるって噂は本当だったんですね」 伊武くんの言葉に、体がビクリと震える。伊武くんは時々だけれど僕が言われてドキリとする事を言う。 この場合は二つ。裕太と付き合っているという内密なはずの関係を知っていたと言う事と、裕太がいるのに何度も伊武くんを呼び出し 彼の情報を聞いている僕の後ろめたい気持ち。 「ま、それはいいんですけどね。人の事をどうこう言うつもりはあまりないし。本題ですけど、あれからアイツの情報は何も手に入れてませんよ?」 「え、でも。先週に橘千歳くんが橘くんに会いに来たという情報を得たので…」 「ふうん。よく知ってますね。でも、オレはアイツ嫌いだから極力会わないようにしたしなぁ…」 伊武くんが「うーん」と言いながら髪を掻きあげる。その手の隙間から見隠れする切れ長の瞳。 その瞳は先週、彼を捉えたのだろうと思うとなんとも言えない衝動にかられた。 伊武くんの眼になりたい。 そんな馬鹿な事をぼんやりと考えた。 きっと、伊武くんは彼に声をかけられても不機嫌そうな表情を浮かべ背を向けるのだろう。 僕なら嬉しくて 窒息してしまうだろうに。 「あー、そういえば来週も来るとかほざいてた気がする。」 「本当ですか!?」 自分が声を上げた瞬間にはっと我に返る。 今の態度は明らかに露骨過ぎたろうと、口元を手で覆う僕をじっと見詰めてから、伊武くんは一息吐くとさっき見た表情とはまた違う顔で僕を睨み付けた。 「オレ、ずっと不思議に思ってたんです。毎週毎週観月サンに呼び出されるの。それに不二くんと喧嘩したとか言ってたけど…」 生唾を飲み込む音が脳の奥に響く。 その先は聞きたくないと 止められるはずがないのに 耳を塞いでも聞こえないようになるわけではないのに 僕はつい、耳を塞ぎ 眼を閉じる動きをみせてしまった。 「あぁ、やっぱり貴方はアイツの事、好きだったんですね」 おそるおそる、という風に瞳をこじ開ければ 伊武くんのがっかりしたような、軽蔑したような、そんな瞳とぶつかった。 早く、否定をしなければと口を開くも、上手く声が出せない。 そんな馬鹿な事があるはずないでしょう?と、いつもの調子で笑い飛ばしてしまいたいのに、僕の心のどこかがそれを言うのを躊躇わせる。 僕の様子を見て何かを確信したのか、伊武くんはいつもの早口とは違いゆっくりとした口調で僕に語りかけた。 「不二くんに、オレと会ってる事言ってなかったんですね」 「……」 「やましい気持ちがなければ、コソコソ会ったりしませんからね」 「……」 「オレがアイツを嫌ってるのを知っていても、アイツの事聞きたかったんですね」 「……」 普段の伊武くんからは想像も付かないような優しい声に、自分のしている事は間違っていないのかもしれないと有り得ない錯覚を起こしもう一度、顔を上げた。 「でも、それは不二くんからしてみれば ただの裏切りだ」 裏切り、その言葉は胸に深く深く突き刺さる。 違う、裏切ってなんかいない。僕は裕太が好きだ。ただ、彼に興味を持っただけで裏切りになるなんて思わない!!! そう、言いたいのに 僕の中に残っている僅かな良心がそれを言う事を許さない。 言葉を発せずに立ち尽くす僕を見て、伊武くんはまた 大きな溜め息を落とした。 「断定はできませんが、それは恋と呼ぶものなんじゃないですか?」 恋と呼ぶもの。それに僕の心は反応した。 違う、違う。この気持ちは、恋なんてものとは違う。 「違う…違います、僕には裕太がいる。これは恋なんかじゃない!ただ…ただ、彼の事知りたいというだけの事です…!!」 「じゃぁそれが恋じゃないと否定するなら、一体何だと言うんですか?」 ―――それが、恋じゃないというなら。 そう、これは恋じゃない。けれど、何と呼ぶのか? あぁ、そうだ。この想いに名をつける事など出来はしない。僕自身、この不毛な想いが何なのか判りもしない。 恋じゃない。こんな…人づてに聞いた話だけでこんなにも 焦がれて、焦がれて 話がしたいと、ただ願うだけの想いになど、どうしたら名がつけられるのだろうか? 裕太と笑っていたって、裕太と一緒にいたって…幸せで、手放したくはないのに。大切なのに、一番好きだと胸を張って言えるはずなのに―― どうして、その裏の心では彼の事ばかり考えているのだろう? ここに居るのが、裕太ではなく僕の事を知らない彼で、彼の事を人づてに聞いただけの僕と話をしていたらどうなるのだろうと、裕太と笑っていたって考えてしまうなんて――― 「違います。恋じゃない、何と呼べばいいのかなんて判らないけど…これは恋じゃない。 だって、彼は… 僕を知らない。そんな不毛なものを恋と呼びたくはない――っっ」 恋なはずはない。けれど、この秘めていた想いを誰かに知られてしまった今、この想いは前以上に暴走するだろう。 口に出さなければ、認めていないようなものだったけれど 僕は認めてしまったんだ。 ただ、彼と話がしたいと願っているだけと正当化していたけれど。もう、言い訳等出来ない。人を誤魔化す事は出来ても、自分を誤魔化す事は もうできない。 ―――僕は彼に 恋焦がれているんだ あぁ、誰でもいい。 この想いを止める術を 誰が知っているのか教えてほしい。 この前に進めやしない想いを、どうしたら捨去れるのか教えて欲しい。 僕は裕太が好きなんだ。でも、彼と話がしたいんだ。 僕を、知ってもらいたいんだ。どんな形でもいいから側に行きたいんだ――― 「…そんなものは望まない、ただ側にいってみたいんです」 「でも、不二君もオレと同じようにとると思いますよ」 そう、僕は我侭で 馬鹿なんですね。 「それでも、この想いは恋じゃないんです」 僕はそれを認めない。最後の最後まで言い訳を続ける。 軌道は繋がらない。 僕が、何かを諦めない限り 想いを一つに決めない限り 光り輝く星の軌道は 僕の瞳に映らない 〜END〜 モドル |