最初で最後の王様







こんな日に、雪が降るなんて酷いじゃないか。足で踏み付ける度に耳に響く嫌な音は、今日という日をより憂鬱にさせる。

『おめでとう』
『おめでとう』

主役を間違えたように着飾ったおば様方の歓喜の声が響き渡る中で、卒業生達は普段通りの制服なのに何故だか光って見えた。
何度も練習した予行練習と同じように事が過ぎて行くというのに、あの時は誰一人として涙なんか流していなかったというのに。今日と昨日がどう違うのかと首を捻った。校長の話だって、卒業生の言葉だって、皆で歌う歌だって。全部一緒じゃないか。



皆が手が痛くなるまで叩き続ける拍手の中で、オレはただ一人俯いて掌を見詰めた。つい、先日の練習では拍手を送る事が出来たはずなのに。今はどうしても拍手なんかしたくない。


――おめでたくなんかないのに、拍手なんかできるわけないじゃん。


昨日と今日の差なんて判りたくもない。
颯爽とオレの横を通り過ぎていった後ろ姿をぼんやりとみつめた。前までなら当たり前に振り返ってくれたその姿が遠く遠く離れていって、姿が見えなくなったところでオレはやっと一回だけ、掌を合わせて打った。




「橘さーーーんっっ」

耳が痛むくらい大きな声で神尾がその名を呼ぶと、その人は笑顔で振り返った。照れくさそうに、卒業生が渡された花を胸に刺したまま駆け寄る姿は 昨日までとは別の人間なのではないかと錯覚するくらい、清々しく 大きく見えた。
どうして、たかが中学を卒業するというだけでこんなにも違って見えるんだろう。
皆が駆け寄る。「橘さん、橘さん」とその名だけを繰り返しながら

一人、置いて行かれたオレにはその光景が自分とは無関係のもののように見えた。
橘さんは、これからも毎日一緒にテニスをしてくれて 呼べば振り返る場所にいて・・。これは、まだ予行練習なんじゃないかと そう思えた。


――皆、別れの挨拶まで練習するなんて馬鹿じゃないの?
――橘さんがオレ達から離れるわけないのに


ぼんやりと眺めた視界に、オレを見据える橘さんが映った。その動作をまるで真似るように皆も一斉に振り返る。石田達は、顔を見合わせながら不思議そうに首を傾げて。神尾は、少し気まずそうに俯いて。橘さんは――ゆっくりと雪を踏み締めながらオレの横に並んで。何も言わずに、頭をそっと撫でた。 触れた手が、思っていたよりも暖かくて 思わずその手を払って、言ってしまった。



「卒業でも何でもして、どこかに行ってしまえばいい。そして、もう二度とオレの前に現れなければいい。」



まるで駄々を捏ねる子供のようなオレを見て、橘さんはまた 笑った。昨日までとは違う大人の表情をして。
昨日と、今日の差なんて判りたくもないのに。急に思い知らされたような気がしてその場から走り去った。オレの名を呼ぶ声は、橘さん以外のものしか聞こえなかった。あの人は最後まで、優しくなんてなかった。








シャリ・・シャリ・・・
後ろから近付く音に、振り返る。辺りには誰もいないせいか小さな声も響いて聞こえる。

「深司、お前なんて事言うんだ。」

泣きそうな顔で、オレを睨み付ける神尾。走り去ったオレの後を追ってきてくれたのだろうと思ったら、何故だか笑いが込み上げて来た。

「何、笑ってんだよ」

唇を噛み締めて、眉間に皺を寄せる神尾を羨ましいとすら思った。いつだって素直に自分の気持ちを口に出したり、顔に出したりする事のできる神尾。今だって、”橘さんに言った言葉”ではなくて、”オレが”橘さんに言った言葉に怒っているのだと、すぐに判った。

「橘さん、怒ってた?」
「…いや」
「だよね」

軽く苦笑してから雪を蹴り上げた。遠くに遠くに飛んで行くように。
オレは ね。あの人なら判ってくれるって思ってしまうんだ。オレがどんな事を言っても、どんな態度をとっても、きっと・・・。オレが何を伝えたいのかをわかってくれる。そう思って止まないんだ。これは、ただの甘えなのかもしれないけれど。

「神尾」
「…なんだよ」
「オレ、橘さんの事好きだったみたい」
「―うん。知ってた」

淡々と答える神尾の表情も、次第に笑みに変わっていった。「お前、本当に不器用だよな」なんて言いながら、雪玉までぶつけてきたりして。


――あの時、オレ達を救ってくれた貴方は 本当に眩しくて眩し過ぎて。もう誰も目に映す事ができないと思うくらい眩しくて。本当に、憧れてしまったんです。心を奪われて、もう貴方以外は誰も愛せないと悟ってしまったんです。
本当は、本当に大好きだったんです。


懺悔をするかのように、心の中でそう唱えて空を見上げた。




〜END〜