操り人形



片羽をもがれた鳥のようだと、誰かが言った
片耳を失った兎のようだと、誰かが言った

そしてまた、誰かが言った。『まるで魂の宿っていない操り人形のようだ』と。
虚ろな瞳で何を捕らえる事ができるのか、笑えぬ口で何を伝える事ができるのか、閉ざされた耳で何を聞く事ができるのか、一人で動けぬ身体で誰を追う事ができるのか、意志を持たぬ頭で何を考える事ができるのか。
操り人形は、操る人間がいなければただのガラクタと何ら変わりない、まるで今のお前のようだ。


…誰かが言った。





最近は起きる事すら面倒で、ベッドから出た回数も数えられる程度のものだ。最後に何かを食べたのはいつの事だったろうか思い出そうとしても、あれからどれだけの時間が経ったかも判らないから考えるだけ無駄だと寝転んだまま天井を見た。
今、何時だろうと携帯に手を伸ばしてみたがボタンを押してもディスプレイが真っ黒のままでようやく思い出す。
(あぁ、そうだ。携帯壊したんだった)
枕の上に置いてある時計も、秒針を刻む音はしない。部屋は雨戸を締め切り、ドアには鍵をかけ、明かりを一切つけていない。もともと防音されている部屋だったので今、伊武の回りは音一つないただの暗闇だった。

(そうだ、時間が判るものはすべて壊したんだった)

今、唯一伊武に時間を知らせるものと言えば毎日尋ねて来る友人のドアを叩く音だけだった。
そろそろ来る頃だろうな、と思った瞬間、ドンッとドアを叩く音が響く。暫くすると、ドアの外からいつもの声が聞こえた。

「深司ー。今日は少し遅くなっちまった、悪ィな。」
「今日よ、数学のテストがあってな。俺、一人で補習受けたんだぜー」

返事を返さなくとも、その声の主は勝手に話を進める。いつもの事だから、と伊武は枕に顔を押し付けてただ、その声を聞いた。
声の主は、伊武に返事を求めるわけでもなくただただ今日起きた事を赤裸々に話した。部活の事、授業の事、たまたま会った他校の生徒の事。何を誰と話しただとか、どこで何をしただとか、事細かに話して聞かせた。
そして、小一時間話すといつものように帰って行く。

「…じゃぁな、深司。また明日」

まるで、学校で会っていた時と変わらぬように「また明日」と一言付け加えてから、普通に帰って行く。
この部屋に閉じこもってから3ヶ月。父も母もとうの昔に諦めて今ではいない人のように扱ってくれている。妹も、少し前まではいちいち声をかけてきたりしていたが、今はもう部屋の前にも寄り付かなくなった。
友人の神尾だけが毎日訪れる。そして何事もなかったように話を聞かせて帰って行く。
ありがたいとは思ったが、申し訳ないとは思ったが、どうしても人には会いたくなかった。
自分は片羽をもがれた鳥のようで、片耳を失った兎のよう、らしいから。





今日もいつものように終わったのだと、寝返りをうつとコンコン、とドアを叩く音が響いた。神尾が何か言い忘れたのか、と重い身体を無理矢理起こす。
しかし、ドアを叩く音が聞こえただけでその後は何も聞こえない。
久し振りに妹がドアでも叩きにきたのかと、布団を被ろうとした時、  ― 声は聞こえた。

「深司」

ずいぶん、聞いていなかったような気がする。もう、10年くらいその声を聞いていなかったような気がする。

「深司……。俺だ、橘だ」
「…ばな…さ…?」

3ヶ月もの間、一言も発していなかったせいか自分の声がうまくでない。ずっと会いたくてずっと待っていた人がやっと来たというのに、声がでない。
ドアの元まで駆け寄ろうとも、弱ってしまった足は思うように動かずに床にそのまま倒れ込む。

「神尾達から聞いた。お前が3年になってから一度も学校に来ていないと。親御さんも心配していた。何があった?」
(それは、貴方がいないから…!)

思わず出かかった言葉だが、飲み込むまえに声にならずに消えた。
とりあえず、部屋からでなければと鍵をあけようにも、頑丈に閉められた無数の鍵を暗闇の中、今すぐに開ける事は難しい。早く開けなければと気持ちが焦るばかりで、感覚を失い震える手がいう事をきいてくれない。


「話したくないのなら、それでもいい。だが、これ以上人に迷惑をかけるな」


冷たく言い放たれた言葉が重くのしかかる。
しかし、あと一つ鍵が開けば、貴方に会える。貴方のいない世界など見たくはないと、塞いだ世界からやっと出る事ができる。
貴方がオレの前からいなくなった瞬間、自分が何をしたいのかが判らなくなった。自分というものは、一体何の為にあるのかが判らなくなった。
一生、その背中を追い続けていればいいのだと信じていた。けれど、実際は違う。貴方のいない一年は長過ぎる。貴方がいない一日は、これ程までにも苦痛なのにそれを365回も繰り返していたら気がおかしくなる。そう思って、自分の時間を止めたのだ。



やっと、最後の鍵が開いた。
閉ざされていた扉を開けると、そこは眩しすぎて真っ白で何も見えなかった。










虚ろな瞳で何を捕らえる事ができるのか
笑えぬ口で何を伝える事ができるのか
閉ざされた耳で何を聞く事ができるのか
一人で動けぬ身体で誰を追う事ができるのか
意志を持たぬ頭で何を考える事ができるのか。
操り人形は、操る人間がいなければただのガラクタと何ら変わりない





まるで今の、お前のようだ。








〜END〜




貴方がオレの”意志”でした