「……手が止まって居るぞ、弦一郎」 「……いや…しかしな…」 「「…………………」」 O N E D A Y : 2 柳が自販機でお茶を購入してきて、全く気乗りのしないまま手を付け始めた難関は、やはりと言うべきか、未だ二人の前に強固に立ちはだかって居た。 現在二人が無理矢理胃に収めた数は真田三個と柳五個の計八個、残りはあと十二個。 まだまだ帰宅への道程は遠そうであるが、二人は最早限界だった。 今までの人生、甘味に是ほど苦しめられた事が有っただろうか?柳は六個目を手に取りながら自問した。 「たぁーっく役に立たねぇなぁ!」 「なんで俺がお前の役に立たなきゃなんねーんだよ!」 大きな声で言い合いをしながら部室の扉を乱暴に開け放つ。 聞き覚えのある声に柳は口に運びかけた大福を宙に浮かせたまま振り返った。 「……丸井にジャッカル?どうしたんだ?」 すると二人も真田と柳が居るとは思わなかったのだろう。眼前に広がる光景に驚いた様に目を見開いた。 「…それはこっちの台詞だろぃ。なぁジャッカル」 「…お前ら……何やってんだ?」 柳が掻い摘んで事情を話すと、丸井は嬉しそうに顔を輝かせ、ジャッカルは安堵したように胸を撫で下ろした。 「じゃあコレ全部食っていいんだな!?誰かさんが財布忘れたせいでケーキ食い損ねたからなぁ!」 「誘っておいて金持ってこねぇお前が悪いだろ!」 「…全部……、食えるのか…?」 「……丸井ならば軽いだろうな」 どうやら己の計算ミスでケーキバイキングに有り付けなかったらしい丸井は嬉々として大福に手を伸ばした。 ジャッカルは丸井がご機嫌で大福を頬張っていると云う胸焼けしそうな光景を横目で見ながら、缶コーヒーを口に運んだ。 ケーキの代わりに十二個もの大福を貰えた丸井と、このままだったら当初の予定だったケーキバイキング以外にも何か奢らされそうだと思っていたジャッカルにとっては、財布を忘れた事もラッキーだったと言えるだろう。 そして真田・柳の両名にとっても体の良い処理係が来てくれて万々歳だった。 漸く二人は落ち着いて茶を啜る。 やはりこの図が落ち着くな、と柳は思った。 「ふぁふぁは〜へんははっへふ〜」 「何を言ってるのか判らん。飲み込んでから話せ」 「電話鳴ってるぞ」 「…電話?あぁ、弦一郎の携帯か」 丸井のジェスチャーとジャッカルの翻訳で柳は微かに聞こえる音源に気付き、真田が振り返るより早く鞄を漁り、携帯を取り出した。 真田の携帯であるのにも関わらず柳が気にせず出れるのは、相手が自分の知らない相手である可能性が皆無であるからだ。 「…赤也か?どうかし……ああ、まだ居るぞ。弦一郎も、あと丸井とジャッカルも。…そうか、判った」 「赤也からか?」 HOLDボタンを押して携帯を閉じると、真田が問い掛ける。 柳は頷くと、早くも三個目に突入しようとしていた丸井の前にある白い箱をひょいと持ち上げた。 「今から来るそうだ。従って丸井。全部ではなく半分にして置くように」 「はぁ〜?マジで?こんなチャンス滅多にねぇのによー」 「……六個食えば充分だろう」 「全くだぜ…お前ボレーのスペシャリスト辞めて『胃が4つ』にしろよ…」 「うるへージャッカル!お詫びに帰りにとろけるプリン奢れ!!」 「意味判んねぇよ!詫びる必要ねぇだろ!」 不服そうに頬を膨らませてブーブー言いながらも丸井は四個目を手にして居る。 真田があれだけ苦労して食べた個数を僅か十数分の内に越えてしまった丸井、恐るべし。 育ち過ぎてしまった二人には余りに酷い仕打ちだったが、丸井にとっては幸運この上なかったようだ。 音楽教師の選択は間違っていたとしか思えない。 「なんじゃあ、雁首揃えて」 「ミーティング…ではありませんよね」 ぎゃあぎゃあと応酬を繰り返すD2ペアを呆れつつも見て居ると、図った様に仁王と柳生のD1ペアが揃って顔を覗かせた。 「……お前達こそどうした?」 柳は二人を見上げ、誰にも気付かれない程度だが眉根を寄せた。 二人が揃って部室に戻って来たと云う事は…… 「コイツに借りたノート忘れてのう」 仁王はそう言って柳生を指差し、柳生は「人を指差さないで下さい」とその手を迷惑そうに見遣ると、柳に視線を向けて苦笑いを浮かべた。 「帰りに偶然会いましてね」 まるで言い訳のように言うと、丸井の隣に座った仁王と反対の場所へ腰を下ろした。 「後から来てもやんねぇよ!」 「大福なんかいらん。それよか丸井、そろそろブン太じゃのうてブ太になってきてるんと違うか?」 「もう手遅れだろ」 「なんだとー!?テメェらっ!」 「言いすぎですよ、二人とも。……確かに最近、制服のウエストがきつそうですが」 「たるんどるぞ、丸井。ランニング増やすか?」 「いらねーよ!!」 レギュラーのほぼ全員が揃い賑やかさを増した部室の中で、柳はそれを傍観しながら腕に嵌めた時計に視線を落とす。 そろそろか。 カタンと小さく音を立てて、柳は「飲み物を買って来る」と言い残し、部室を後にした。 「……赤也」 「…柳、サン…」 部室から少し離れた自販の近くまで来ると、柳は向かいから俯き加減でやって来る後輩に声を掛ける。 切原は声に気付き足を止めて柳を見遣った。 「…悪かったな、急に電話を掛けて」 すると切原は小さく首を振り「イエ…俺こそスンマセン」と呟いて、手にしていた携帯をギュと握り締めた。 この様子を見れば、到底「映画は楽しかったか?」などと聞ける筈が無かった。 仁王と柳生が偶然出会った事、二人が揃って部室に来た事、そして切原が一人でここへ来た事。 三本の糸は、第三者の目から見ても複雑に絡まっている。 それを解いてやる事が出来ればどんなに良いか。 深刻そうに黙り込んだ柳に気付かれまいと、切原は慌てて顔を上げて笑った。 「で、用って何だったんスか?」 「いや…もう済んだ」 無理に明るい笑顔を作る切原の頭をポンと叩くと、柳はそのまま自販へ向かった。 切原は居心地悪そうに髪を直して柳の後に続いた。 大きな音を立てて取り出し口に烏龍茶が転がり落ちてくる。 柳は無言のままそれを取り出して、また小銭を投入した。 「……あれ見たんスよ…『ストーカーマン2』」 後ろのベンチに腰を下ろした切原が唐突に切り出した。 ガコン。また大きな音が響いて、ポカリの青い缶が転がり落ちた。 「……そうか」 素っ気無く答え、取り出し口に手を入れる。 そう云えば、少し前に切原が「前作の続きが気になってる」と言っていた覚えがあった。 ストーカー男は好きじゃないけどストーリーが好きで、と言っていたが、それは今もそうだろうか。 愛するが故に牙を剥いてしまう男に共感などしていないだろうか。 切原の持つ刃は、酷く脆い。 例え力任せに斬り付けても、致命傷を負わせる事は出来ないだろう。 黙り込んだ切原はしきりに携帯を弄って、柳の言葉を待っている様に感じた。 だが柳には、その呪縛を断ち切る様な言葉は掛けてやれない。 柳は一回仕舞った財布を取り出して振り返る。 「……どれにする?」 「へっ…?」 「…偶には奢ってやろう」 言いながら、小銭を入れると、赤いランプが点灯した。 気休めにしかならないと判って居ても、せめて喉に痞えた言葉の塊を、冷たいジュースで流してやれればと思う。 切原は少し惚けていたが、やがて困った様な笑顔を浮かべ、立ち上がる。 「んじゃ…コーラがいいっス」 「……炭酸は控えろと言っただろう?」 不意に背後から静かな低い声が聞こえた。 柳と赤也が振り返ると、ベンチから数メートル離れた所にいつもの難しい顔をした真田がバッグを背負って立っていた。 「…弦一郎」 「…真田副部長」 「俺達が居る必要も無いと思ったのでな」 つまり大福の処理は丸井達に任せて来たから帰るぞ、と言う事だろう。 当然、切原も。 恐らく弦一郎も気付いているのだろうな、と柳は少し微笑み、ヒンヤリと掌を冷やしているポカリを真田に投げて渡した。 「帰るぞ、赤也」 「…うっス」 取り出し口から赤い缶を取り出して投げる。 切原はそれを受け取ると、真田の後を追って門の方へ向かった。 柳は一旦部室の方へ視線を向け、それから歩き出した。 楽しい事ばかりじゃない。 苦しい事も、辛い事もある、そんなある日のこと。 戻る |