人の数だけ思いがあって 思いの数だけ答えがある 目に見えなくても、手に触れなくても それは確かに此処に かたちのない協奏曲 人込みを掻き分けるように走っていく背中を見遣りながら、小さく溜息を零す。 別に何かを意図した訳ではなかったが、先輩はそれを耳ざとく聞きつけ、俺の方を見た。 「どないしたん?」 「…いえ、別に」 素っ気無く答え、踵を返すと、追う様に背後から楽しげな声が聞こえる。 「…もしかして…ほんまに?」 先輩が言おうとしている事を察した俺は、笑いを噛み殺せてない顔で聞いてくる先輩を横目で軽く睨んで歩き出した。 「同じ事を二度言わせたいんですか」 「冗談やって。……せやけど安心せぇ。日吉も髪サラ度は負けてへんから」 「競った覚えは有りません」 キッパリ返せば、先輩は相変わらず楽しげな笑みを浮かべて俺の隣に並んだ。 この人が叩く軽口にいちいち腹を立てるほど子供じゃない。 それの大半が冗談で有る事も知っているし、本気で思って居たとしても真実ならば口にしない事も知っている。 だから、先輩が不動峰の伊武を「美人だ」と認識していてそれを口に出したとしてもどうとも思わない。 言ってしまえば、信用はしてないが信頼はしているのだ。 そんな事言えやしないけれど、きっと先輩は気付いてる。 並んで歩きながらチラリと隣を盗み見る。 さっき無意識に零れてしまった溜息はヤキモチなんかではなくて、ふと疑問に思ったからだ。 階段から転げ落ちそうになる位、脇目も振らずに伊武の姿を探す神尾。 二人がただの友人関係だったとしても、もしかして俺と先輩みたいな関係だったとしても、他人の為に一生懸命になる姿に嫉妬した。 もしも、もしもだけど。 俺が居なくなったら先輩はあんな風になるだろうか。 先輩が居なくなったら俺はあんな風になるだろうか。 そんな下らない事を考えてしまっていたのだ。 「……よし。……日吉?」 「…えっ?…あ、はい」 いつの間にかボーっとしてたらしい俺は、怪訝そうな先輩の声で我に返った。 先輩は俺が返事すると、言葉を続けるでもなく微笑みながら先を歩く。 「…すいません、ちょっとボーっとしてて…。何ですか?」 「いや、別に何でもあらへんわ。それよかどうする?何か軽く食うか?」 言いながら先輩はすぐ右手に見えたファーストフード店を指差した。 夕方のこの時間帯の店内は、俺たちのような学校帰りの学生で溢れかえっていて、おおよそゆっくり出来るとは言い難そうな雰囲気だった。 確かに部活の後で小腹は減っているが、あまり入りたいとは思えない。 俺がどう返答しようかと黙っている内に先輩は店の前を通り過ぎ、駅前へと向かっていた。 「……食べないんですか?」 問い返せば、先輩は前を向いたまま少し笑って、 「ん。別に餓死しそうな程減ってる訳でもないしな。日吉もやろ?」 と答える。 先輩の凄い所はこういう所だと思う。 相手の言いたい事を瞬時に察知し、やんわりと受け止めて、綺麗に流す。 それが、要望であっても反論であっても。 だから俺はこの人に敵わないのだろうと改めて思った。 帰宅ラッシュの真っ最中の構内は、学生や会社員などたくさんの人が行き来している。 その中を先輩は何てことない顔でスタスタ歩いて、俺が乗る路線の改札口に向かう。 先輩が歩く後を追いながらふと視線をやれば、見慣れた人物が見えた。 俺が先輩に言う前に先輩も気付いて、方向転換する。 「なんや、跡部。こないトコで何やってん?」 声を掛けられた相手―跡部さんは、壁に預けていた身体をハッと起こして顔を上げたが、その次の瞬間に思いっきり不快を露わにした表情をする。 「……うっせぇ、テメェらにゃ関係ねぇ。さっさとどっか行けよ」 いつもより明らかに不機嫌そうな跡部さんの言葉に、先輩は怯むでもなく苦笑を浮かべた。 「キッツイなぁ…。そない顔してたら美人が台無しやで?」 更に火に油を注ぐような言葉まで掛けた。 その言葉に跡部さんの顔が歪んで、無言で先輩を睨み上げる。 この人は触らぬ神になんとやらと言う諺を知らないのだろうか、と俺が呆れ返っていると先輩は跡部さんが何か言う前に、それから逃げるように踵を返した。 残されては堪らないと慌てて後を追えば、先輩は跡部さんに見えないよう背を向けながらククッと笑いを零した。 「…メッチャご機嫌ナナメやなぁ…」 「…何かあったんですかね」 率直な疑問を口にすれば、先輩は口の端を上げたままチラリと後ろを振り返って、それから俺を見遣った。 「大方、手塚とつまらん喧嘩でもしよったんやろ。跡部もまだまだガキやからなぁ…」 「…手塚…って青学の手塚さんですか!?」 先輩の口から洩れた意外な名前に俺は思わず声を潜める事も忘れて聞き返した。 「…シィッ。跡部に聞こえたらまた機嫌わるなんで」 「…すいません。…ってそれ本当なんですか?」 跡部さんと手塚さんが?喧嘩ってつまり…そういう事だろ? まさか、と思いながら先輩を見遣ると、先輩は可笑しそうに表情を崩しながら、軽く頷いた。 「俺らより付き合い長いで。日吉はほんと疎いんやな」 「……知る必要ないですから」 先輩のからかいの言葉に憮然とした表情を作りながらも、俺の心中は驚きっぱなしだった。 二人が付き合っているという事も、跡部さんが喧嘩をしたくらいであんなに機嫌が悪くなることも、俺にとっては驚き以外の何物でもなかった。 そうこうしてる内に改札へ辿り着いて、先輩は足を止めた。 俺の方を振り向いて、苦笑を洩らす。 「まだ驚いとんの?」 「…はぁ。あまりに意外だったので…」 「…まぁ、普段の跡部だけ見てたら驚くのも無理ないけどな。せやけど所詮は他人の事やし」 「そりゃまぁそうですけど…」 言いながら、定期を出そうと鞄を開けて中を探っているとその手を先輩が掴んだ。 顔を上げれば先輩は笑いながらじっと俺を見つめて、俺の手を自分の口元に運び、チュッと音を立ててキスをした。 「……なっ…!?」 突然の事にビックリして勢い良く腕を引くと、それを許さないように強く腕を掴んだまま、先輩は少し真面目な顔をして俺を見据えた。 「…あんま跡部の事ばっか考えとるとヤキモチ焼くで?」 「……何言ってるんですか!そんなんじゃありません!」 「どうやろ?……なんて嘘や。他人は他人、俺らは俺らや。せやろ?」 「……判ってるなら言わないで下さい」 困惑しきって下を向きながらボソボソと呟くと、先輩はニヤリと人の悪い笑みを浮かべて漸く俺の手を離した。 どうにも居た堪れなくなって、電車が来る気配がしたのを良い事に急いで改札を通り抜けると、背後から先輩が呼び止める。 少し躊躇ってから振り向くと、静かに笑みを浮かべた先輩は、言った。 「せやから、探す探さない以前に居なくならへんよ」 別れ際にそんな言葉を言われて、呆けてる内に見事に電車を逃してしまった。 先手先手を取られてしまっているのに、何故だか悔しくないのが、全ての敗因だと思った。 それもまぁ、ひとつの形なのかもしれないと思いながら、ゆっくりホームに向かった。 〜END〜 モドル |