僕の好きな人。 その人は 背が高くて賢く、時折見せる笑顔がとても優しい人です。 それが、僕の好きな人です。 ずっとずっと 大好きな人です。 そうして 彼 が消えゆくなら 「会いたくない人に、会っちゃいましたね。」 早足で歩く僕の隣で、裕太がふいに口にした言葉に僕はビクリと肩を震わせた。 こういう時だけ、敏感に感じ取る裕太。 ストレートに放たれたその言葉には、どんな真意が隠されているのだろうか。 「観月さん?」 僕の名を、呼ぶ。 それは僕の答えを催促するものなのか。 まともに裕太の顔を直視出来ない。 喉の奥が妙に乾いている感じがする。 けれどこの僕の微妙な反応に気がつかれてはいけない。 もう誰も失いたくなどないから。 そう思い、僕は無理矢理に誤魔化した。 「何のことです?」 誤魔化しきれない。とわかっていても、僕には何もなかったかのようにするしかできないと思った。 気付かれてはいけない。この動揺に。 気付かれてはならない。僕の愚かな感情を。 誤魔化しきれたか、は定かではない。 けれど裕太が無邪気に笑って 「乾さんの事は忘れたんですよね?」 なんて聞くから。 「えぇ、忘れましたよ。彼なんて」 僕は罪悪感に捕われたまま、嘘を紡いだ。 罪悪感に捕われた人間とは、その状況下で何を考えるのが正しいのだろうか? 僕の頭の中は、先程の事が目まぐるしく回り続けていた。 あぁ、僕は上手に笑えただろうか? 彼の瞳の中に映った僕は、どんな風に笑っていたのだろうか。 彼は、僕に会った事をどう思ったのだろうか? 何が正しいのかなんてわからない。 ただ一つ解るのは 僕は[正しくない]だろうという事。 本当はね。忘れてなんかいないんですよ、彼の事。 頭の中でだけ呟き、先をゆく裕太の後を追った。 無言の時が続く。先を歩く僕の後ろから裕太の足音が聞こえる。 いつでも僕を慕い、追掛けてくれる裕太。 僕を信頼し、いつも側にいてくれる裕太。 そんな君からの告白を受けた時。僕はあっさりとOKを出した。 君が、彼を忘れさせます。と言ってくれたのが一番の大きな理由。 裕太なら、彼を忘れさせてくれるだろうと本気で思った。 そして今では、僕なりに裕太を想っている。 なのに。 なのに、どうして僕はいつまで経っても彼を忘れられないのだろう。 柳君と寄り添う彼を見た時。僕は嫉妬した。 そして思わず声をかけてしまった。 裕太がいるにも関わらず。 嬉しかった。君と話をする事はもう、ないのだろうと思っていたから。 それと同時に悲しかった。 君が、僕と裕太の事を 冷やかしてくるなんて…。思ってもみなかったから。 そして、実感してしまった。 あぁ、僕はまだ 彼が好きなんだ と。 ふと。辺りに響く足音が一つだけになった事に気がつく。 「裕太?」 名を呼び、振り返るもそこにあるべき姿は見当たらない。 名を呼べば、返ってくるはずの笑顔が そこになかった。 「裕太?どこに…」 不安が押し寄せる。 やはり、気付かれたのか? 付き合ってからだいぶ時が経ったのに裏切り続けていた僕に愛想をつかせて、どこかに行ってしまったのだろうか? 「裕太?裕太?!」 いくら呼んでも返事は返ってこない。 僕は押し寄せる不安に勝てず、走り出す。 …僕に、罰が下されたのだろうか。 いつまでも忘れようとしない僕に、 神が 罰を下したのだろうか? 「裕太…!裕太ーー?!」 情けなくも涙が込み上げてくる。 あぁ、自分はなんて浅ましい人間なのだろう。 彼が好きと…乾君が好きだと、自覚しているくせに 僕は裕太がいなくては生きていけないなんて。 乾君が一番好きだと、そう思ったくせに 裕太がいなくちゃ嫌だなんて… なんて、子供で なんて自分勝手なのだろう。 「裕…太」 走り疲れたのと、自分の情けなさに 僕は立ち止まりしゃがみ込む。 「裕太…」 返ってくる言葉がないという事が こんなにも不安になる事だなんて知らなかった。 僕の後ろにあるべき姿が いなくなっただけで こんなにも取り乱すなんて、思ってもみなかった。 「大丈夫ですか?」 僕の頭上から声がした。 通りすがりの人に心配をされてしまうだなんて、と つくり笑顔を浮かべ、顔をあげると 「貴方、山吹の…?」 見覚えのある人だった。名前は…確か? 「ルドルフの、観月?」 そうだ、部長の南君だ…。 心配そうに差し伸べられた手を取り、立ち上がると 「目眩か?」と問われた。 小さく「いえ」と返事をすると、安心したように息をついたのがわかった。 「でも、どうしたんだ?こんな所で」 そう言われて、僕はやっと自分を取り戻す。 「あの、裕太!不二裕太を見ませんでしたか?うちの学校の2年の…」 僕の言葉を、南君が片手で止める。 とても優しい笑顔で そのまま僕の後ろを指差す。 「え?」 「後ろ。」 ゆっくりと、はっきりと告げられた言葉の通り、僕が後ろを振り返る。 少し茶っ毛の、短髪 おでこに傷のある いつも 見ていた ヒト 息を切らせて 僕よりも息をきらせて 汗までビッショリかいて 「いいな」 「え?」 「いつも、一緒にいるんだな」 そう言った南君が何を考えているのかはわからないけれど 少し、触れる程度に押された肩が、とても熱く感じた。 「観…月さん」 呼ばれた声に僕はビクリと肩を震わす。 南君は、「じゃあな」と小声で呟くと風のように去っていった。 「ど・どこに行ったんですか…僕に、許可も得ず」 「すみません」 「どれほど僕が心配したか…」 「すみません」 「僕に…もう、愛想が尽きたのかと――…」 あぁ、泣くつもりなどないのに、涙が溢れる。 言っている事だっておかしいし、こんなにも情けない事を自分が言っているのかと思うと恥ずかしいけれど 止まらない。 「すみません…。おばあさんに、道を聞かれたんですけど…。前、見たら観月さんもういなくて…」 困った時に、頭を掻くくせ。 見飽きてしまった位、見続けたその仕草に僕は安堵の息を漏らす。 いつもの、裕太だ と。 そんな僕の思考を読み取れたのか、裕太は少し思いつめたように俯くとゆっくり、言葉を紡いだ。 「俺、観月さんが乾さんの事を忘れていないの、知ってました。」 「え?」 手の甲で頬を拭う僕に裕太が近付く 気付いていたの? 僕の気持ちに、気付いていたの? いつから?どこまで? 困惑して言葉が見付からない。 近寄る裕太が僕の頭に手を伸ばしてきたのを見て 僕は目を瞑り身を固める。 (殴られる?) しかし、裕太の手は僕の髪を撫で そのまま伝う涙を指で拭っただけだった。 「あのね、観月さん。俺が観月さんを殴るはずないでしょう?」 「ですが…、僕の気持ちに気がついていてそれでいなくなったのでは―」 「観月さん…。聞いてください」 溜め息が聞こえる。 やっぱり呆れられている? それとも諦められている? そう思うと、次の言葉なんか聞きたくなかったけれど、止められる筈もなく 僕は次の言葉を待った。 「観月さん。俺ね、最初は乾さんの事忘れてくれないの、嫌だったんですけど 今は、大丈夫なんです。」 「どうしてです?」 我ながら本当に情けない声を出したと思う。 裕太は、僕のそのマヌケな声に笑うと 僕の手を取り、歩き出した。 「木更津さんから聞いたんですけど、人って忘れようと思うと忘れられないらしいッス」 「そ、それがどうしたと言うのですか?」 「つまり、無理して忘れようと思わないでほしいんです。」 腕を引き、真直ぐと前を見て歩く裕太の顔を見つめる。 なんだか、少しいつもの裕太と違うみたいに堂々としていて 僕は少したじろぐ。 「でも、忘れないと君に失礼じゃないですか!!」 「それでも、観月さんは今 俺と一緒に居る事を選んでくれたんですよね?」 「俺は、それが嬉しいですよ?」 僕に振り向き、満面の笑みを浮かべる。 迷いのない、その瞳。 僕は乾君を好きだと思っているけれど そんな君も、大好きだった。 何だか笑いが込み上げる。 僕の後ろをただついてくるだけの後輩だった君が 何だかとても頼もしく見えて。 「…二言はないんですね?」 「勿論。俺は観月さんが俺の側にいる事を選んでくれたのが嬉しいですから」 「では、忘れるのはやめますか」 「え?まさか、10年経っても忘れない。とか言うんじゃないですよね?」 「さぁどうでしょう?」 手を振り解き、僕は裕太の一歩前に飛び出す。 君が信じてくれてよかった。 僕の隣にいるのが君でよかった。 そんなすぐには忘れられないかもしれないし、 もしかしたら明日にでも忘れてしまうかもしれないけれど 「裕太」 「はい?なんですか?」 呼べばすぐ返ってくる笑顔がある僕は、とても幸せな人間なのだと気がついた。 「いーえ、呼んだだけです。」 「大丈夫ですよ。今度からはいなくなる時はきちんと許可を得ますから」 子憎たらしい。僕の大切な人。 呼べばすぐそこにある笑顔のヒト。 僕の好きな人。 その人は 背が高くて賢く、時折見せる笑顔がとても優しい人です。 僕を好きなヒト。 その人は 純粋で正直に生きる、毎日笑顔でいるヒトです。 きっと僕が 僕の好きな人 をわすれる時は 僕を好きなヒト と生きてゆくのが当たり前になる時。 でも そうして彼を忘れてゆくなら それもそれで いいかもしれない。 〜3話終わり〜 NEXT:花誇 |